子供が家で全然勉強しない

見ていると家で全然勉強しないのです。

いや、まあ別にそれで成績が維持できているのであれば良いと思うし、正直なところ、自分だって学生の頃、誇れるほどきっちり宿題や自主的な勉強をしていたわけでもないので、あまり強くはいえないのですけど。

ただ、学校から出される宿題もそんなに多くないし、もうすぐ受験なのに受験に向けた勉強みたいなものが全然出来ていないなあ、というのは、少なくとも見てとれるのです。

家で勉強するのって必要?

そういった環境にいると、当然、心配になってくるわけで、そして言いたくもない「勉強しなさい!」という伝家の宝刀が出てしまうわけです。

親の立場からすると、この「勉強しなさい」という一言にはいろいろな意味が込められていて、それは子供の未来に対する(勝手な)期待であったり、自身の苦い経験から得た(良かれと思ってする)進言だったりが込められています。

概念的な話としては、人間とは、生涯「学習」を続けていく生き物なのだから、今、目に見える学習習慣(の、ようなもの)を身に着けて欲しい、という願いが込められていると思うのです。

それは、もっと近視的な部分からは、もうすぐ受験なんだから受験勉強しないと落ちるよ、と言うものであるし、もっと単純に、それじゃあ学校の成績落ちるよ、というものでもあります。

「成績が悪いと、良い学校に進学できなくなるし、良い会社にも入れなくなるよ」みたいなステレオタイプな考えはやっぱりどの世代の親でも、まるで呪いのように、漠然と持ってしまっているし、それが結局お決まりの、「良い成績を取りなさい」みたいなセリフを生み出してしまったりするのだと思います。

ただ、子供の立場からしてみれば実はそんなこと、どれもがどうでも良いことであって、今が楽しいのだから楽しいことをさせて欲しい、学校の成績が落ちても死ぬわけじゃないし、正直、勉強ができることが、イコール明るい未来だとも思っていない、と考えているんじゃないかなあと思うのです。
自分がそうだったから。

そこまで明確ではないとしても、漠然とそんなふわふわした思いが、勉強頑張ろう、という考えにはならないのだと思います。

でも勉強って楽しいよね?

根本的に大人の立場と子供の立場では、当たり前だけどそれぞれが違っていて、大人は「勉強は楽しいもの」もしくは「勉強は生きていく上で必須のもの」というのを経験から理解していると思うのです。

「勉強って楽しいですよね?」と世のオトナたちに問いかけても、「そうだね!」という返事はそりゃあ少ないかもしれないけど、それでも、趣味や自分の興味の対象に対しては、調べたり、学んだりすることは好きだと思うのです。野球好きの人が選手名鑑を見て選手を覚えたり、サッカー好きな人が、世界のサッカー事情を調べたり、そういうのだって一つの勉強の形なのだから。

社会に出て会社に入れば、仕事を覚えないといけなくなります。ある時は高校や大学の教科書を引っ張り出して、改めて勉強することだってあります。

実生活で役に立つなんて思いもしなかったサイン・コサイン・タンジェントや二次関数が、実際に仕事で必要になることもあります。

いろいろなことを知っていくと、社会情勢や政治や経済にだって興味をもってきます。

そういった当たり前に知識を蓄えていって、自分の生活をより良くしていくことは実際楽しくて、そしてそれこそが「勉学」であり「勉強」だと思うのです。

勉強は目的をもって

環境や興味が人を勉強に駆り立てます。

目的があって、それをやらないといけない状況なら、大抵は自発的に勉強をします。そして大部分はそれが「勉強」なんだという意識を持たずに。

親から高圧的に、ただただ「勉強をしなさい」と言われると、子供の側は、目的もよくわからず、まるで罰のように勉強をさせられると受け取ってしまいます。「何を」勉強すれば良いのかわからないから、子供はやる気を失います。

例えば、働いている世のお父さんお母さんに「もっと勉強してください」と言ったらどうなるでしょうか?

「え?何を?」とまず聞かれるんじゃないかな、と思います。

そこには結局のところ大人も子供もなくて、「何のために」「何を」勉強するのかを意識することがとても大事で、そして、本人の認識がそれを正当だと思うのであれば、少なくともそのために何かを学ばなくては、というモチベーションの一歩にはなり得ると思うのです。

ただただ闇雲に机の前に座って、意味も無く、頭に入ってこない教科書の文章を何度も何度も読み返して時間だけを潰すような勉強ではなくて、自分が設定した目的に向かうための必要な知識を得るために、何をしないといけないのか「考える事」、それこそが勉強なんだと、改めて認識できるのではないかと思うのです。

勉強の仕方、させ方

全然勉強をしない我が子をみて、我が家でも当たり前のように子供を塾に入れてみましたが、正直なところ、この判断には自分でも疑問があります。

結論から言うと間違ってはいないとは思うけど、単に家でやらないから塾でやらせる、何を勉強させたら良いかわからないからプロに丸投げした、という敗北感みたいなものがあります。

だけど、何をプロに任せ、親としては何をしないといけないかを考えて、一緒にゴールを設定し、その上で何を塾に期待するのか、そして自宅での学習ってどういうことなのかについて、何日か考えて、そして少しずつわかってきました。

先に書いたように、「何のために」「何を」勉強しないといけないのかを考えるのを子供だけにやらせるのではなく、それは、社会に出て今の世の中を肌で感じている親が、子供と一緒に共感して、そしてアドバイスをしていかないといけないと思うのです。

先日子供と、将来どうしたいのかという話をしました。

子供が興味をもっている業界が、幸い私の働いている業界とほぼ同じであることから、今後数年から数十年の見通しや、そのために必要なスキルや語学や考え方など、押し付けにならないように、また無駄に脅しにならないよう自分なりに意識して話をしました。

その上で、そういった将来の夢に近づくためにはどの大学を選ぶべきか(もちろん専門学校や海外渡航や働きに出ることなども選択肢として上げて)考え、一応の目標を決めました。

将来の生業として「やりたいこと」があって、そのために身につけないといけないスキルや教育環境はどこなのかを明確にしました。

結果、ある大学が一つの目標になり、それが明確になったことで、塾に対しては、その大学に入るための受験勉強をさせたいと思いました。

「受験勉強のために塾に入れる」というのは、すごく当たり前のことで、普通ではあるのだけど、将来何をしたいからその大学を選んだのかを共有することで、家で勉強しない子供に対して、
「勉強しなさい」という意味のない叱咤をするのではなく、
将来設計の進捗において、どう歩んでいくのかをお互い理解した上で、じゃあ今、目的の大学に入るための受験勉強において、何が足りていないのかを客観視出来るようになったんじゃないかとは思います。

だから、「今あなたが興味をもって、この先やりたいと思っていることをするために目的として据えた大学の受験勉強に足りていない、この教科の、この部分を、少なくとも受験に通るくらいの評価が得られるための勉強をしなさい」くらいのことはいえるようにはなったと思います。