受験の地域格差

東京へ行こうと思うのなら、飛行機に乗らなくてはいけない。私たち親子が住んでいるところは、そんな地方都市です。

それでも、イオン以外にも本屋さんもあるし、学習塾もあったりはします。県庁所在地なので、それなりに発展はしてるわけです。

ただ、進路を選ぶにあたっては、子どもの同級生(進学組)たちは、約半分が地元の国立大学、大学、専門学校等を選んでいます。

それが悪いことだとも、間違っているとも思わないですが、本当はもっと選択肢があるのではないだろうか、とも、思ってしまいます。

近場の教育機関を選ぶというのは、別に地方に限った話では無いのかもしれませんが、それでも、将来を決める大学選びに影響を与えているのが、目に入るものから選ぶ傾向、なのではないかと思います。

将来を決める選択肢

大学選びは、子ども達の人生を決める大きな要因の一つ

実際働き始めると、出身大学など誰も気にしないし、大学で学んだ研究とは全然違う方向に進むということも少なくありませんし、むしろ、研究職・専門職以外は大学の専攻はそれほど重要では無いのかもしれません。

しかし、それは今までの日本の状況がそれを許容していただけのことであって、これから先はそんな常識は通用しないのではないかとも危惧します。

前にも書いたのですが、国際競争力が下がっている今、大学を出たから」という理由で無条件に安定を得られる世の中ではなくなってきているように思います。

日本で働くか、それとも

将来を見据えた大学選びを

これから先の、何十年もある子供の未来を考えると、その子が今、何を目指し、どういう方向へ進みたいのかという、本人の夢や希望を真剣に考えないといけないのだと思います。

「大学を出ていれば、とりあえずどこかの会社には入れるし、お給料ももらえるだろう。」

結局の所、私もそう思うし、それを否定する気もありません。ただ、もっと積極的にやりたいこと・知りたいことを、自身の将来に取り入れるという選択肢はあって然るべきだとも思います。

それを考えると、もう少し広い視野で考えることも必要じゃないかと思うのです。

しかしこれ、地方にいるとなかなか認識できないのです。

地方格差が将来の認識を奪う

非常に興味深い記事に出会いました。

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由 – 現代ビジネス

たとえば、書店には本も揃っていないし、大学や美術館も近くにない。田舎者は「金がないから諦める」のではなく、教育や文化に金を使うという発想そのものが不在なのだ。見たことがないから知らないのである。

もちろん、文化と教育に無縁の田舎で幸福に暮らすのはいい。問題なのは、大学レベルの教育を受け、文化的にも豊かな人生を送れたかもしれない田舎の子供たちの多くが、その選択肢さえ与えられないまま生涯を過ごすことを強いられている、ということだ。

今住んでいるところが、ここまでの格差を生んでいるわけではないし、これは極端な例かもしれません。ただ、地方在住の根底には厳然とこの問題はあるのだと非常に共感しました。

たとえば、世界レベルの美術展等は東京まで行かなくては見ることが出来ません。

ただ、数万円かけて飛行機や電車を乗り継いで「そこまでして行きたい!」と思うのかというと、そもそもが、そんな意識はなかなか生まれないのです。なぜなら普段目にしないのだから、それがどれほど素晴らしいものなのかという認識ができていなかったりするのです。

たとえ知識としてその素晴らしさは知っていても、自分の目で見てみたいと思うその衝動は、精神的・物理的に身近であるか、という、距離感が影響しているのだと思います。

田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンディを背負わされている。

別に、今住んでいる場所を「田舎」であると卑下する気はないし、先の記事ほど、都市部と隔絶された田舎でも無いので、そこまで絶望的でもない。ただそれでも、自分の子供が思い浮かべる将来の見え方がなんだか近視眼的だと感じることはあります。

科学も文化も発展してインターネットで世界を覗ける環境にあっても、文化や教育や人や、ワクワクやドキドキや、そういったものを肉眼で感じる機会は、やはり都会の方が圧倒的に多いと思います。

都会にいれば全て解決される、というものでは無いですが、将来を考えるにあたっては明らかにハンデがあるなあ、と感じることはあります。

都会にいるのであれば、その優位性を最大限に発揮して、
地方にいるのであれば、むしろ距離的なハンデを理由に積極的に様々な文化・教育体験を摂取していく。
子供と将来を考えていく上では、そういうことが重要なのだろうと感じました。