自立を促す

教育の妙というのは、それぞれ子供には個性があり成長の進度が違っていて、だからこそ誰にでも当てはまるような教育手段や方法は無いということなのだと思います。

子供の成長というものには、ついつい同世代の他の子達と比べてしまいがちですが、まだ成人してもいない年代では、それこそ成長のスピードは千差万別です。

肉体的な成長はもとより、考え方や自立心、意思の力や思考の柔軟性など、そういったもの全てが一人ひとり全然違います。

やたらと大人びていると感じることがあったりする反面、周りの子が当たり前に出来ていることが全然出来ていないこともあります。

子供の行動に対して「なんでできないの!?他の子には出来ているのに!」という言葉は「なんでもっと身長が伸びないの?他の子は背が高いのに!」と言っているのと、何ら変わらないことだと思います。

出来ないことや苦手なことは、子供が持つ一つの個性として受け入れ、やがて成長に伴って出来るようになっていくものなのだと、長い目で見ないといけないのではないかと思います。

成長の段階による接し方の違い

成長の段階

たとえば「褒める」という振る舞い一つとっても、子供の成長進度やモチベーションによってその受け取り方は180度変わってきます。

褒められることが嬉しい時期というのは、成長の初期段階であり、出来ないことが出来るようになり、そのことを褒められることはそのまま動機づけにもなります。

やがて、何をしたら良いのかを自分で考えられる段階になると、努力そのものが内発的な動機づけとなり、「楽しいからやる」という段階になります。この段階になると、今度は逆に、褒めるということがその成長を阻害することになったりもします。

アンダーマイニング効果と呼ばれる現象です。

内発的に動機づけられた行為に対して、報酬を与えるなどの外発的動機づけを行うことによって、モチベーション(やる気)が低減する現象である。例えば、好きでプレイしていたゲームに金銭的な報酬を与えられると、やる気がなくなってしまうなど。抑制効果ともいう。

成長の見極め

たとえば教科学習についても、勉強の仕方がわかっているかどうか、勉強の目的を持っているかどうかで、接し方も大きく変わってきます。

自信のある教科については、何も言わなくても積極的に勉強をしたり、さらにその教科における得手不得手がどこにあるのかを理解できていたりします。

逆に、苦手教科においては、勉強の仕方もわからなくて、先生に何を聞いたら良いのかすらわからない、ということも少なくありません。

子供に発破をかけるつもりで「そんなこともわからないの!?」という一言を放った時、自身の努力でゴールに達成できそうな時、それは「なにくそ!」という発奮材料になりえます。しかし、ゴールどころか方向すら見誤っている時に同じ言葉を投げかけられれば、それは言葉の暴力になってしまうのです。

自立は期待するものではない

自立心はどこから来るか

失敗しても良いから自分で考え、試行錯誤をしながらも、目標に向かって進めるようになってもらいたい

親としては、何事においても、子供にはそんな意識を持って欲しいと思うのではないでしょうか。

だけど、そういった自立心というのは、少なくとも、何をしたら良いのか、という本人の思考・理解が大前提になるのだと思います。

成功の道筋を自分で建てられることが自立に繋がるのだと思います

そうやって自分ひとりで出来ることを一つ、また一つと増やしていくことで、今度は本当に親からも自立していくのでしょう。それはとても寂しくもありますが、何よりも嬉しい瞬間なのだと思います。

環境を用意してあげる

しかし、子供本人に、成功への道筋が見えていない時に、子供自身に考えさせて、行動させるというのは、極端に言えば親の無責任であるとも言えます。

「自分がお前くらいの時にはそのくらい出来たのに、こんなことも出来ないのは甘えているからだ」と感じる親御さんもいると思いますが、本当にそうなのでしょうか?

自分が得意で、自分ひとりで出来ていたことは、本当に自分の努力だけでなし得てきたことなのでしょうか?

もちろん中にはそういう人もいるとは思いますが、それはそういう環境だったから、ということはありませんか?

  • 親が応援してくれていた
  • 出来ないことが出来るようになった時、適切に後押しをしてくれる存在があった
  • 無理やりやらされていた習い事が、いつの間にか他の「どうしたら良いか」の参考になっていた

等々…

意外と、周りから助けられていたことを、自分ひとりの努力だと思っていることが多々あります。そんな自分を棚に上げ、子供には無理を言う親もいます。

重要なのは、自分が過去そうであったように、本人も気がつかないうちに「出来るようになっていた」という環境を整えてあげることなのだと思います。

自立と自律

何も言わないといつまでも勉強しない… いつまでもダラダラと遊んでいる…

「好きなことばかりやっていないで、もう少し自分でやらないといけないことを出来るようにならないの?」

見かねて、つい、そう問い詰めたことがあります。

子供としては、それを言葉としては理解出来ても、
好きなものを途中で切り上げてまで、なぜ、(たとえそれが、やらないといけないことだとわかっていても)好きでもないことをやらないといけないのか
ということには、全く納得は出来ていないようでした。

「高校生なんだから、今何をするべきで何をしないべきか、自分で考えて、理性的な行動をおこしなさい」と、声を荒げたりもしてしまいましたが、親の考える理想的な振る舞いが出来る子供なんて、果たしてこの世の中にいるのでしょうか

それは、目に見えない、自分だけが持つ理想を子供に押し付けて、決して望み通りの結果のでない難問を押し付けているだけにすぎないのではないでしょうか。

「出来ることが良いこと」では無いのだと思います。

出来ないことを詰ることは逆効果でしかなく、出来ないことには出来る方法を教え一緒に行動することで、少しずつ成長を促していけるのだと思います

次の段階に成長し、自分で考え自分で行動するようになるその時、自立から自律へと一段先に進みます。

今この時、何をするべきで、何をしないべきなのかという自分を律する行動。

そこからは、親が口出しをするのではなく、子供からの要望を待ち、ただただ、見守ることが子供のためになるのだと思います。

 

たとえば今、他の子には当たり前に出来ていることが、我が子には出来ていない、なんてことがあるのであれば、それは単にその子の個性なのです。
肉体的な特徴と同じく、それはその子の今の姿でしかありません。

出来る方法を本人に考えさせるのではなく、親が出来る方法を考えてあげて、いつの間にか出来ている状態にしてあげる。
そんな環境を整えてあげることも、自立を促す教育の一つの形なのではないかと思うのです。