今子供が通っている高校はそこそこの進学率があり、それなりにお堅いところもあるので、容儀検査などが時々あります。
いわゆる、前髪が目にかかってはいけないだとか、髪は後ろに束ねないといけないとか、靴下の色は白じゃないといけないとか、そいういうもの。
隣の地域の同じレベルの高校では髪型も服装も自由だったりするので、選んだ高校に依るものではありますが、こういう校則は正直あまり必要無いと思っています。
ただまあ、ある程度の「好ましい格好」というものがあるのもわかるので、理解出来なくもないのですが。
ただ、世の中にはもっと極端な、意味の分からない校則があるとも聞いています。
そういった馬鹿馬鹿しいルールを前にした時、どうしたら良いのか。
その一つの例となる面白い記事があったので、思うことを書いてみました。
理由のない校則を前にしたある高校生
「理由のない校則」に憤った高校生は、アパレルブランドを立ち上げた。
という記事がありました。
私がいま通っている高校は、授業中に水を飲んだり、トイレに行ったりするのが禁じられています。なぜこういう決まりなのか、理由を聞くと「校長先生がお決めになったので」と説明されるだけ。
確かに授業中に水を飲んだり、気軽にトイレに行ったりというのは、私が高校生だった頃にもNGだったように思われます。
米国の学生のようにガムを食べながら授業を受けていたら当然怒られます。
何もガムを食べながら授業を受けさせろという気は無いですが、授業中に水を飲むくらいは良いのかもしれないと思います。
この辺のルールは、たしかに明確な理由があって禁止されているというよりは、真剣に授業を受けている姿勢を表明するための、理想的な振る舞いを望まれているようにも思えます。
儒教的な教えから、目上である教師が嫌な思いをしないようにガムなどを食べながら授業を受けない、という話も聞いたことがあります。
Moppy:校則へのぼんやりとした違和感が、より鮮明になったのは、2016年から1年間、北米に留学してから。通学していた地元の高校で配られていた生徒手帳には、校則がたくさん書かれてはいましたが、あまりに日本と違うので驚きました。印象的だった校則の一つは、学校にピーナッツを持ってこない、という規則。それはピーナッツアレルギーの人を守るため、という理由でした。
学校のルールにも、ちゃんとした理由があったんです。アレルギーの有無、人種・宗教・性別の違い、いろんな人がいるからこそ、みんなが生きやすい、個人を尊重するために必要な規則が盛り込まれていました。規則の隣に理由が記入されている欄もあって、なぜそのルールがあるのか、理由も書かれていました。
この例は、個人的にとても興味深いと思いました。
なるほど、人種・宗教・性別の違いなど、そういった意識が普段からある米国のような国ではこういった理詰めでのルール作りになるのだなと。
確かにこれならわかりやすいし、生徒も反発しないし、きちんと筋が通っていて気持ちが良いと思います。
引用した記事では、この生徒は学校の「理由の答えられない校則」に対抗して、それを皮肉ったTシャツを売るアパレルブランドを立ち上げたそうです。
そういった行動はとても小気味好いとおもいました。
我々はどうしたらよいか
さて、実際我々がこういった馬鹿馬鹿しいルールに直面した時、どういう行動を取ればよいのでしょうか。
少し、簡単に考えてみました。
理由が妥当なら反発したら良い
例えば、体に疾患があって授業中でも水分の摂取をしなければいけないような、明確な理由がある場合。
要するに、「授業を効果的に受ける」という本来の目的を達成するにあたり、理由のない校則がジャマをするのであれば、これはきちんと反発するべきだと思うのです。
「ルールだから」という理由で何も考えずに禁止されるというのであれば、それこそ何も考えていないと揶揄されても仕方がない態度だと思います。
ただ、この場合でも、自分のルール対学校のルールという対立構造で考えるのはつまらないと思います。
ここでは、自分がそのルールの上で障害になる部分と、学校側の障害になる部分をお互い出し合って妥協点を見つけ出す動きが出来ればそれが一番だと思います。
理由が無いなら別にそのままでも良いのでは
例えば
「米国の映画では生徒がガムを食べながら授業を受けていた。だから自分もそうしたい。」
そんな理由で学校の理由のないルールに反発するのも、今度はそれはそれでいかがなものかとも思います。
そこにはたぶん文化的な背景や歴史があると思うので、そういったものをきちんと紐解いて、その変えたいルールの本質が何なのかを、自分が理解しないといけないのだと思います。
「ただ、ガムを食べたいから」という理由なら、それはもうそのままで、変えなくても良さそうです。
大抵「自分の正義」を旗頭にしてルールを作ろうとすると戦争になります。
「なぜ変える必要があるのか」が明確になっていないのであれば、ルールに噛み付く前にすることがあると思います。
直接的な働きかけではなく、出来ることをやる
先の記事のように、学校を変えていく前に、自分の得意な分野、自分のできる所からやっていく。
実はこれが一番健全で生産的な方法なのかもしれないと思いました。
アパレルブランドを立ち上げるもよし、WEBで声を発するもよし、自分に何が出来て何が出来ないのか、世界のどこを変えていけるのか。
そういうことを考えながら、新しことを進めていくのはとても素敵なことだと思いました。