大学は「考える力」を身につける場所なのではないだろうか

進学を考える時、どうやって大学を選ぶか。

基本は将来進みたい道を見つけ、そのルートの上にありそうな学部や学科を見出し、その大学を目指すことになるのだと思います。

ただ、大学は職業訓練学校ではないので、即戦力的な技術を身につける場所とは違うのではないかとも思っています。それなら専門学校の方が近いですよね。

社会は「考え」なくても回るようになっていっている


識字率も高いのに、文章を良く読まないで自分勝手な反論をする。

そういった指摘があり、いわゆる「バカの壁」があるというのが、SNSなどで可視化されてきました。

教育レベルも低くないのに、読解力が弱まっていると言われることが多いようです。

ただ、これはそういう層が増えてきたというよりは、ネット・SNSで可視化されてきていることの方が大きいのだと思います。

読解力は、今の社会では、実はあまり重要ではありません。

一般顧客相手の仕事をしていると良く見られる光景が
どんなに説明書きを書いてもそれを読まないで問題を起こしてクレームを言ってくる人がいるから、そもそもそういう人が間違わないようなデザインにするべきだ

これはもちろんサービス提供側としてはまっとうで正しいのですが、こういった提供側の技術が上がるにしたがって、サービスを受ける側は、考えないでスムーズにサービスを享受できることが当たり前だと感じるようになります。

もちろん、これ自体も間違ってはいませんが。

ただ、こういったことが続き、より良いサービスが広がることで、サービスを受ける側の読解力は退化していっているようにも思えます。

普段の生活が良質なサービスに囲まれているため、サービスを受ける部分においては、自分で何かを考え試行錯誤をする機会が減ってきているようにも思えるのです。

定型化されていく仕事

良い会社というのは、業務の専門化がされていて、決められた時間内にきちんとした成果を出していくことで、正しく回っていくようなところ、なのだと思います。

ただ、その「専門化」の部分が企業毎にかなり狭く、そしてより特化されたものになっていっている様に思えます。

需要の細分化と、それを受ける事業の細分化、そしてその先鋭化によって。

逆にあまり良くない会社というは、うまく専門化されていなく、成果ではなくどれだけそこに居るかで評価されたりします。

そういうところでは、あまり難しくない「そこそこ」の業務を広く沢山やることになってしまいます。

それでも、山のようなそこそこの業務が、それなりに定型化はされていきます。

そうでなければ回らないのです。

効率悪く、量が多すぎるため、ブラック化するのですね。

「生産性」を考えると「考える力」が必要になる

決められた業務を回していくことが前提となったとき、自身の評価や幸福度をどうやって獲得していくのか。

その一つが「生産性」だと思っています。

同じ業務でも、より効率的に、効果的に進めることができれば、時間も生まれるし、より高度なことが出来るようになります。

この時必要になるのが「考える力」なのだと思います

「そこそこ簡単で、それなりの給与と地位が約束される仕事」が消えた世の中では、見えにくい「弱者」が増えている。

大変興味深く、賛同できる記事でした。

この中で

つまり、

「考えてやれ」

「タスクを設定して管理せよ」

「自分で調べならがらやれ」

「改善しながらすすめてくれ」

こういう指示は彼らには、「難しすぎる」のである。

と、あります。

これは、お膳立てされ続けた社会で生活していくと、構築されていくちょっとしたステレオタイプなのではないかと思います。

この「難しすぎる」と言われてしまっている、本来獲得しなくてはいけない能力を身につける場所こそが大学なのではないかと思います。

大学を卒業するのに必要な能力


大学を卒業するにあたり論文が必要になります。

その時、何を研究テーマにしてそれに対してどうアプローチしどういう解決策を見出すのか

その一連の行為は、まさに「考える力」そのものだと思います。

高校までは、決められた教科を決められた手順で「考えず」になぞるだけだったものが、大学では、それを「自分で考えて身につける」ことをしなくてはいけません。

そしてそれこそが、これから社会に出て最も必要になる力なのではないかと思います。