書店などで、またはテレビなどでも時々「ノートのとりかた」のような特集があったりします。
東大生のノートのとり方、みたいなものも以前に流行ったかと思います。
賛否もそれぞれありますが、やはり、誰にでも当てはまる学習が捗るノートの書き方、のようなものは、無いと考えたほうが無難なようです。
以前
という記事でも書いたのですが、勉強の仕方に関しても誰にでも効くような絶対的な勉強法が存在しないのと同じことだと思います。
ただ、逆に考えると、自分にだけは合った勉強法なり、ノートのとり方なり、そういったものは無いことも無いのではないかと思います。
ノートを取る意味
学習は、理解と反復が重要だと言われています。
理解しないまま、ひたすら記憶しようとしたり、問題の量をこなしたりしてもあまり意味はないし、せっかく重要な部分を理解出来たとしても、その後反復しなければ、すぐに忘れていってしまいます。
得意な教科
得意な教科だと、過去に解いてきた問題や押さえてきた重要なポイントが強い印象として記憶に残っているので、新しいことも、過去の理解と成功体験が、難問やわかりにくい概念も積極的に読み解こうという積極性に繋がるようになります。
そしてその山を乗り越えることで更に「得意である」という認識を得ます。
こういった好循環にハマるような教科の場合、「どうやったら理解できるだろうか」という基礎の部分よりは「どのような応用が考えられるだろうか」という学習に重点を置いたほうが良いと思います。
そうなると基礎の要点や反復用の内容よりは、一つの内容からどのような広がりが考えられるかをノートにまとめていくと良いと考えられます。
苦手な教科
逆に、苦手な教科であれば、苦手意識が学習意欲を阻害します。
まず基礎の理解が必要なのに、そこへ進むのがなかなか難しかったりします。
そういう時に、できるだけ基礎的なものを整理して反復できるようにまとめておくのはその後の学習進度にも大きく影響していくと思います。
苦手な教科は後回しにして、しかもいやいややることが多いので、できるだけ薄くて罫の太いノートを選んで、どんどん消費していくことも、ちょっとしたテクニックになったりします。
ノートを取る意味
そうやって、教科ごとの好きや嫌いを判断基準に取り方を変えるという方法などがありますが、結局の所、「ノートを取ること」が重要なのではなく、勉強するにあたってなにかを書き出す必要が出てきた時、その選択肢の一つがノートであるべきだと思うのです。
書き出す先がチラシの裏が良いのであれば、チラシの裏に書いて、書いたら捨てればよいし、それが単語ノートになることもあるだろうし、A3の大型ノートになったり、ルーズリーフになったりします。
「どうやってノートを取ったら良いのだろう」とお子さんが考えていたら、何を出力する必要があるのかを考えるように促すと良いかな、と思います。
テストに際して初めてノート提出をさせたけど、ノートの内容とテストの成績に相関関係が全然ない。学年トップのノートは「一応出しました」という感じ。黒板のメモやら俺の発言まで全部メモした、きれいなノートの女子は平均ぐらいしか取れてない。何の意味があってノート提出させてるか既に分からん。
— とある高校教師S (@hellohellock) May 25, 2016
教育学部系の教師に本当に「子ども性善説」論者ってのが多い。
「きれいにノートを取っておけば、テストが悪くても平常点で何とかなるからテスト勉強はしないよ~♪」という生徒に平常点を与えてしまうから、勉強しなくなってしまう。単に「教師の指導が悪い」で片付く問題ではない。— とある高校教師S (@hellohellock) May 27, 2016