なにか問題にぶつかった時、これといった根拠も無いのに、やたらと自信満々に「まあ、なんとかなると思うよ」という人、周りにいませんでしたか?
そしてそういう人に限って、その通りになんとかなってしまうことが多かったり。
子供の頃からの性格であること多いのですが、その性格が形作られる要因は家庭環境に大きく影響される様に思われます。
そして、そういった自信の持ち方が、様々なことを成功に導いているように思えます。
エリートの強みは「根拠のない自信」
エリートの強みは「根拠のない自信」 : 人類応援ブログ
一流大学出身の「エリート」とドロップアウトの「落ちこぼれ」、両者は一体何が違うのでしょうか?エリートも、落ちこぼれも、同じ人間であることは疑いありません。しかし、その生活や待遇は同じ生物とは思えないほど違っています。
という記事があります。
その中で
一流大学出身のエリートたち、特に企業で活躍する人たちは、自分に圧倒的な自信を持っています。「自分はできる」「自分はお金を稼げる」、と心の底から信じています。
しかし、その「自信」に根拠があるかというと、そんなことはありません。
例えば「自分はTOEICで900点取れたから自分の英語力に自信を持っている」というような、「根拠のある自信」を持っている人は極めて稀です。そうではなく、彼らの持っているのは「なんとなくだけど自分は偉い気がする」というような、漠然とした、曖昧模糊とした自信です。
成功体験の積み重ねが自信につながる
「なんとかなった」という経験が積み重なると大体において楽観的になります。
これは成功体験が重なることで、「問題に対しては対処をすればなんとかなるのだ」という当たり前の認識が身につくからです。
成功体験が少なければ、問題が発生した時点でお手上げになってしまいまい、「問題=どうにもならないもの」という認識が出来あがってしまうのです。
こういった、問題に対して何とかなるという自信につながるまでの性格というのは、家庭環境が大きく関係しているように思えます。
そういった家庭では往々にして、問題があると、大抵は親がどうにかしてしまう事が多いからです。
そして、そういった問題に対する「なんとかなった」という成功体験の積み重ねが、心理的な余裕、つまり根拠のない自信になり、そしてその、心理的な余裕が成功を呼び込むのです。
また、こういった根拠の無い自信は、努力することのハードルを下げます。
例えば「根拠の無い自信」を持っている人は、そうではない人と比べて、圧倒的に粘り強くなります。
例えば司法試験や公認会計士などの難関資格に挑戦するとしましょう。普通の人なら難関資格の過去問を見た時「こんな難しい試験は自分にはとても無理だ」と諦めてしまいがちです。
しかし、「根拠の無い自信」を持っている人たちはそうは考えません。
「俺にわからないということは、みんなわからないはずだ!」
と考え、勉強を始めます。「自分の知力が足りていない」「自分には難しすぎる」などはかけらも考えません。ただ単に自分に知識が足りてないと考えます。
就活もそうです。「根拠の無い自信」を持っている人たちは、どんなに沢山のお祈りメールをもらっても、中々めげません。
「僕の魅力がわからないなんて、馬鹿な企業だな」
くらいにしか思いません。そして「僕のキャラクターを認めてくれる企業が現れるまで頑張ろう」と就活を継続します。「御社が第一志望です!」を連呼する変なテンプレ就活生にもあまりなりません。自然体で企業と面接を続け、大抵はあっさり内定をもらいます。
親の声かけが影響してくる自信の芽生え
時々、子供に発奮させる為に「まだまだだ!」という言い方をする親がいますが、そういった意味では、子供の自信を押しつぶしてしまい、逆効果であると言えます。
「もっと出来ると思っているから厳しいことを言うのだ」
というのであれば、まずその前提を子供本人に伝えないと意味がありません。
つまり、まず褒めて認めた上で、足りない部分を具体的にダメ出しし、更にどうすれば良いのかというアドバイスまで出来てやっと発奮させることが出来るようになります。
また、ただ褒めるだけでもだめで、白々しい褒め方は、子供には、馬鹿にされていると受け取られてしまうので、子供本人がうまく出来たと思った時に褒めることで本人の自信につながって行くのだと思います。
自信を持っている人は成功する
先の引用にもあるように、自信があると、努力することのハードルがぐんと下がります。
何をするにも、不安に押しつぶされないのです。
これはすごく大きいと思います。
例えば、今、目の前にある「受験」という大きく長い山場を迎えていますが、これに対しても、まず根拠がなくたって良いので、なんとかなると思うという心持ちで勉強を始めるようになれば良いと思います。