大人になると他人から怒られることは大分減っていきます。
働いている会社によっては、上司や先輩が感情的に怒って来るところもあるので、皆無ではないでしょうが、それでも分別もついてくると、そうそう普段から感情的な言葉を受けることは減るのではないかと思います。
しかし、子供の世代は、親や教師など、目上から注意されることは非常に多いと思います。
それはもちろん、怒られるようなことをしたから、分別のつかないようなことをしたから、というのもありますが。
それでも、「他人」から怒られるというのは、それなりに客観的にも間違っていることだったり、明確にルールから外れていることなどがあったりして、怒られるのにもまあ、正当性があることが多いと思います。
ただ、これが親子関係になると、怒られる内容が子供にとって理不尽であったり、感情的であったりすることは少なくありません。
親は結構子供のことを高く評価しがちです。
誤解してほしくないのですが、お子さんが期待するに値しないと言っているわけではないのです、どの子供も可能性をたくさん持っていて、様々な才能があります。
ただ、それらの才能や能力を子供が自力で最大限活用できることを、親が期待してしまうことが多いのだと思います。
そして、(親の頭の中にある)子供の理想的な振る舞いと、現実との乖離に苛立ち、そして声を荒げてしまうのです。
期待するのは悪いことではありません。
悪いことをしたら怒ることも間違ってはいません。
しかし、その時、言葉に怒りの感情を載せることだけは、少し考えたほうが良いと思うのです。
その怒りの感情はどこから来たものか、そして、その感情を受けた子供は一体どう感じるのか、を。
ふいに道路を飛び出して、轢かれそうになった子供をつかまえて怒る時、心配と恐怖の感情を露わにして叱りつけるのは、子供にとって、愛情と反省を受け止めさせることに繋がり、悪いことではないと思います。
しかし、学校が早く終わって、いつもより早く帰ってきたのに、すぐに勉強を始めないからと、怒りに任せて叱りつけるのは正しくないのではないかと思います。
事前にそういう取り決めをしていたのにできていないのであれば仕方ありませんが、それでも感情的になる必要はありません。
解決方法があるのに、正当な理由もなくそれをやっていないのなら、すぐにやれ!と怒るのは良いと思います。
しかし、解決方法はなく、あっても親の頭の中にしかないものを、正しく導き出せと理不尽に怒られたのであれば、やりきれません。
解決の糸口がないのに、感情的になるのは、ただただ相手を追い詰めるだけになります。
そこには親の尊敬はなくなり、子供は卑屈にしかなりません。
叱り方というのは、確かにあるのだと思います。
それは解決の道筋を冷静に指し示すことなのだと思います。
解決も見えないなか、ただ自分の感情をぶつけるだけなのは叱るのではなく、ただの虐待でしかないのではないでしょうか。
親の役割は、子を、正しく導くものなのだから。